Ⅴ:洙明君からの伝言:佐川昇(守山小三・四年の担任)

 この間、また洙明君の夢をみました。ひとりの少年が流氷に腰掛けて、沖の方を見ているのです。最初は洙明君だとは気がつきませんでした。だんだん近づいて行くと、見かけたトレーナーを着ているではありませんか。おもわず、
「洙明君じゃないか? やっぱり君だったのか。ところで、どうしてこんな北の海の流氷の上なんかにいるんだね?」
 わたしはいっ気にこういうと、もどかしげに彼の返事を待ちました。
「ぼくう、ぼくはね、いまアメリカから帰ってきたの・・・・・・。」
 わたしは、いらいらして彼の話をさえぎり、
「帰ってきたって、どうしてこんな寒い北の国へ、君の帰るところは東京だろう? パパやママのところだろ?」
すると彼は、ほほえみを浮かべて首を横に振り、
「東京には帰れないの。ここにはたくさんの仲間がいるの。ぼくだけ勝手なことはできないの。」
静かな声でしたが力がこもっていて、わたしにはそれ以上聞くことを拒否しているように感じられました。
 わたしは、話題を変えました。
「どう英語の勉強すすんでいる? セント・ジョセフの生活楽しい?……」
 わたしの話をにこにこ聞いていましたが、あの落ち着いた静かな口調で話し出しました。
「ぼくね、パパと富士山に登った時の話をするね・・・・・・」
 富士山と聞いて、一瞬意表をつかれた思いでしたが、
「富士山、パパと登った富士山、楽しかったかい。是非聞きたいね。」
わたしも、いつの間にか流氷に腰をおろしていました。彼はにこにこしながら話し出しました。
「ぼくね、まえから一度でいいから富士山に登りたかったの。それもね、パパといっしょに。でも、パパが勤めている役所の人たちもたくさんいっしょだったけど。夜おそく七合目について山小屋に一晩とまったの。食事をしたりお話をしたり、子どもはぼく一人だったけどみんなやさしくしてくれたので楽しかった。あしたの朝早く起きて頂上めざして登山したけど、雨が降り出し風も強くなって、なん度も吹き飛ばされそうになったの。そのたびにパパがぼくのからだをしっかり抱きしめていてくれたの。やっとのおもいで頂上に着いたら、 暴風雷雨注意報が出ているので、ゆっくり歩くことも景色を見ることもできないで、下山しなければならなかったの。残念だったけどしかたがなかった。山をおりながら、パパと晴れた日にもう一度登って、頂上の噴火口や日の出の景色を見ようと約束したの。」
ここで彼の話は終わりました。
「パパと晴れた日に、もう一度登ろうって約束したの。」
わたしは、この最後のことばがずしんと胸に突きささるのを感じました。
「それはよかったね。雨にあってもながい間の夢が実現して、富士山に登れたんだから……。」
ここまで言ってことばを切りました。なぜなら、洙明君の顔が紅潮して興奮しているのに気がついたからです。この富士登山が彼の心の奥底に、どっかりと大きな位置をしめていることをはっきりと知らされました。
 いつもの、白皙の顔にほほえみを浮かべた表情とはちがい、明らかに興奮しているのです。冷静な彼には珍しいことです。彼の表情には満足感も感じられます。そうか、わたしはあまり時間をおかずに、そのわけがわかったのです。それは、パパといっしょの登山で父と子の心をはっきりと確かめ合ったのです。子が父の心を、父が子の気持ちをしっかりと受けとめあったのです。彼にとっては決して忘れられない、記念すべきできごとだったのです。彼がしばらくぶりで会ったわたしに、学校のことを話すでもなく、友だちの話を聞くのでもなく、 突然富士山の話をした理由がよくわかりました。
 きっと、洙明君はだれかにこの大事な思い出を話しておきたかったのです。あの時の感激をはっきりと伝えておきたかったのです。
「よくわかったよ。しっかり聞いておいたぞ。」
わたしは、なんども心に言いきかせました。
 ふと気がつくと、洙明君の姿はどこにもありませんでした。

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