Ⅴ:一方的な話し合い、思い出:飯野けさみ(田中ケイ子母)

 毎日、毎日、雨ばかり。お彼岸が近いからでしょうか。それにしても、今年の天候は、冬はあの何年ぶりかの大雪、又夏はあの長い間のあの暑さ、どうして・・・・・・これは北の暗い寒い海底で眠っているあなた達の、悔しい、悔しい、もう一度明るい世に帰りたい、との気持が天候にまで現れていると私なりに思っております。
 信じることのできないまま、一年が過ぎてしまいました。昨年の今頃は、ケイ子、貴女が帰って来ない、ソ連のミサイルで撃墜されたなんて残酷な事は、私にはとても信じる事は出来ませんでした。どうか神様、私の左腕などいりません。そのかわり娘ケイ子をつれて来て下さい。神様、仏様に手を合せ、きっと帰って来る、必ず帰って来る、と信じて待っておりました。が、一年経っても貴女は帰らなかった・・・・・
 今日は一方的な話し合いだけど、もう一度、貴女と話し合いたくて書きます。たくさんある写真ブックの中から、一番古い写真ブックを出して思い出しております。貴女はこの時、 四才位だったでしょうか、泣き虫で弱虫の子だったんですよ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 父親と死別、貧困のどん底から這上ろうとしていた家庭でした。雨もりのする家で、母子四人で寄り添い、細々と生活していたんですね。こんな小さな子供をかかえ、どうして生きて行けるか、いっその事四人で死んでしまおうか、とも考えた事もありました。
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 金はなし、土地はなし、どうしたら良いか、でも一生懸命何かをやれば、何とか生きて行けるだろうか、考えました。それからはお母ちゃんは強くなりましたね。三人の子供のために、又母として、三女フジ子を背負って日帰り行商、農家の手伝い、内職、あらゆる仕事はやりました。努力しました。
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 貴女達は日々成長して、お母ちゃんがいろいろで悩んでいる時など、貴女はふざけてばかり人を笑わせていました。
「フフフフフ」
 小学校三年頃までは成績も下から数える位で、四年頃から急に上って来ましたね。それは貴女が大学四年頃言った言葉でしたね。
 (小学校四年頃ある家にあそびに行ったら、貧乏家のきたない子供が来た、と水をかけられた。あの時はくやしくて、くやしくて、だれにも言わず一人で泣いてた。今に、今に、と、 それからは一生懸命勉強するようになった。だれでも、努力すればできるさ、やればできるさ、)
 そんな事言ったのを思い出していますよ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 貴女達も大きくなり、次第にお金もかかるし、何かもっと良い仕事はないものかと、ぜんぜん知らなかった飲食店を始めたのです。開店当時はいやで、辞めようか、と何度も考えました。でもお母ちゃんには此の仕事以外に仕事はない、と一生懸命やるようになり、何の趣味も持たず、ただ働くだけの人生でしたね。又努力しましたね。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 貴女は高校時代、勉強にスポーツに(バレーボール等で)無理したのです。大学二年四月、 腎臓病で入院、大学を一年間休学、十一月退院して帰って来たけど余り思わしくなく、治療のため、針、玄米、つまり自然食で東京に通いましたね、つらい気持だったでしょう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 それで全快までとは行かなかったけれど大分良くなり、久しぶりの貴女の笑顔を見ました。 それからは(お母ちゃんが病気になったら、私が玄米でお母ちゃんの病気を治してみせるから)なんていってましたよね。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 それからダンスのみちに入ったのです。(貴女は踊りの素質があるね。)と私が言った時の(そう・・・・・…)とうれしそうな顔、あの笑顔が今でも目の前にうかんで来ます。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 貴女がいなくなっても、あのマンションはそのままになっていますよ。あれほど(家と車がほしい)と言って買った家です。人に渡すのは余りに可哀相で、今の所まだ、・・・・・・たまには風を入れに行っています。整理ダンスの中の色とりどりのレオタード、きれいにならべられ、上に白のきれいな布がかけてあり、どれほどダンスを愛し、ダンスに恋し、大切にしていたか良く分ります。ダラスーニューヨークでのダンス体験で帰国、さあこれから、と、頑張らなくては、と張り切っていたでしょう、残念でなりません。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 今はダンスはブームです。テレビ、新聞等見るたびに貴女を思い出し、今頃健在だとこのように頑張っているのに、と悔しい限りです。短い生涯でした。
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 でもね、ケイ子、多くの方々から惜しまれてこの世を去った貴女、幸です。悔しいでしょうけど、安らかに眠って下さい。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 今日貴女のマンションから持って来た日記(午前○時に考える)の中からのものです。

「心にひびくことば」
〇教育大学生の頃
 自信が持てるまで努力する、これが必要だ。今の私にとっては・・・・・・今まで精神的にも、常に、自分を追いこんでも、肉体的に自信が持てるまで・・・・・・追い込んだ事があるだろうか、ない、常に中途半端な時に身を引いていたようだ。踊りという、今の現状に、トコトンまでぶつかって見よう。何かを納得の行くまでやってみる。これを欲しかった。やってみたかった。踊ること、これはとても、私にとって必要だ・・・・・・

〇飯野先生の頃
 いろいろあるけど耐えること、笑顔を忘れないで・・・・・・つかれた顔を見せるのはよくない。何も知らない私。全て、勉強だと思って素直に・・・・・・女らしさ、笑顔を忘れないで・・・・
 ○○さんと○○さんが来る。少しの時間だけど話をした。友達は大切にしたい。明日から又一週間が始まる。笑顔は忘れないで。それから勉強するって事は、とても強いなあー・・・・・・ 飯野先生頑張れよ!!

〇都留大勤務始め頃
 学校に来ると忙しい。いろんな雑事と、精神的な、他からの圧力と、勉強不足のコンブレックスで、押しつぶされそうになる。そして幾つになっても同じ悩みをくり返す。能力のない私、だから努力して、他人の二倍勉強しなくてはいけないのに、他人と同じだけも勉強していない。努力していない。時々ふっと脳裏をかすめるのは、平凡な家庭の主婦になりたい、 と言う事。社会の荒波にもまれなく我夫、我子の世話をあきるまでやっていたい、幸か不幸か大学が受かって、幸か不幸か大学に就職して、・・・・

 もっともっと話していたい、考えていたいけれど、長くなりますから又いつか話しましょうね。いつものように、笑顔は忘れないで、皆さんと仲良くして下さい。  九月十七日 母

妙法天無院妙躍日圭信女位

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