Ⅲ:消えない疑惑 ― KAL機事件の真相究明を訴える:武本昌三(武本富子夫・潔典父)
(一)
あの忌わしい大韓航空機撃墜事件で、一瞬にして私が、妻・富子と長男・潔典(きよのり)を奪われて以来、間もなく一年になろうとしている。
一周忌に、二人の追悼のための本を出版する計画があって、潔典の友人から寄せられた中学校卒業文集を見ていたら、終わりの方に、卒業生一人ひとりが、アンケートに答える形で書き残したことばがあった。
そのうちの、「一つだけ願いが叶うなら何を願う?」という設問に対して、例えば「ブライアンのギターがほしい」というように、それぞれの夢をえがいているのだが、潔典のところには、「平和に生き続けること・・・・」とあった。私はこれを見て、はっと胸を打たれた。
これを書き残して札幌北高に入り、東京外国語大学に進んだ潔典は、三年目の昨年の夏休みに、アメリカからの帰途、あのKAL007便に乗った。平和に生き続けたいという彼の唯一の願いは、五年半で潰えてしまったことになる。
事件が起こった時、私と娘の由香利は、ノース・カロライナにいたが、由香利の手許には一つの詩が残されていた。「これは素晴らしい詩だから」と、母親の富子がわざわざコピーして、アメリカまで持って来てくれたものである。谷川俊太郎氏の「生きる」であった。
この私の妻と子の「生きる」願いを、無残にも打ち砕いた大韓航空機事件とは、いったい何であるのか。今なお悲嘆の底に沈みながらも、私の頭には、この問いが重苦しくのしかかっていて離れることがない。
まず大韓航空の異常な航路逸脱の責任は極めて重大であるが、何よりも許し難いのはソ連の蛮行である。仮にソ連の言うように、KAL007便がスバイ機であったとしても、なんの罪もない乗客を虐殺した行為はいかに言辞をろうしても決して正当化できるものではない。しかしここでは、紙数の関係でアメリカとこの事件との関わり合いだけを見ていくことにすると、まず思い出されるのがU2型機のソ連領空侵犯事件である。一九六〇年五月、アメリカのU2型機がソ連領空をスパイ飛行中に撃墜されてしまった時、アメリカ政府は、気象観測機がトルコ上空を飛んだだけだとウソをついた。しかしパワーズ操縦士が生きたまま逮捕され、スパイ飛行を全面自供するに至って、ついに責任を公式に認めざるをえなくなった。
あのベトナム戦争でも、トンキン湾事件というのがあった。一九六四年七月、米海軍巡洋艦が北ベトナム哨戒艇に魚雷攻撃されたという情報が流され、アメリカ議会は満場一致で北ベトナム非難決議を採択して、北べベトナムへの猛撃を開始したのである。しかしその後、これはアメリカ軍の謀略であったことが明らかになっていった。つい最近の米誌「USニューズ・アンド・ワールド・リボート」でも、事件は”幻”であったと伝えている(七月十六日、 ワシントン発共同電)。
このような公然たるウソや謀略は、米ソを問わず、政府や軍、情報組織にはしばしばつきまとうものなのであろう。このことは、大韓航空機撃墜事件を考える場合にも、おそらく、 無視することのできない背景である。
事件後、レーガン大統領はソ連の非人道性を世界に向けて喧伝し、世界中からも、ソ連の非道を糾弾する声が高まった。
九月十四日アメリカ下院は、ソ連非難決議案を事実上の全会一致で可決し、次いで翌十五日、千八百七十五億ドルもの軍拡予算を賛成多数で可決、採択した。
野党民主党が多数を制している下院での通過が危ぶまれていただけに、これはレーガン政権の大きな勝利であった。大韓航空機撃墜事件が同法案の成立に大きく“貢献”したことは明らかである、と九月十六日の国内各紙も伝えている。
米軍情報組織は当時、KAL機が領空侵犯しても撃墜されることはない、と考えていたかもしれない。しかし、もし撃墜された場合にはその事実を、ソ連への敵愾心高揚や軍拡予算の議会通過のために最大限に利用できるという読みも、間違いなくシナリオの中には入れていたであろう。その上で、一片の警告も発しようとはせず、KAL007便の領空侵犯の一部始終を克明に追っていた。
この事実を最初に暴露したのは、ほかならぬシュルツ国務長官であった。九月一日、事件について発表した彼は、「グリニッジ標準時でほぼ十六時(日本時間午前一時)、KAL機の機影がソ連レーダーにあらわれ、十八時三十八分(日本時間午前三時三十八分)、レーダー上から消えた」と“不注意”にも漏らしてしまったのである。これはアメリカの情報組織が、ソ連のレーダーに映る映像でさえ的確に傍受する能力を持っていることを、事実上認めたものであった。
(二)
この事件の一つのカギを握っていると思われるのは、一時、KAL007便に接近して奇妙な飛び方をしたアメリカの電子偵察機RC135である。同機に乗務経験のあるトム・バーナード氏らは、九月十二日のデンバー・ポスト紙で、RC135の高性能を詳細に説明したあと、「こうした性能が何故悲劇を回避するために利用されなかったのか深刻な疑問を持たざるをえない」と述べた。
本年一月八日の「ワシントン・ポスト・マガジン」では、ジェームス・バムフォード記者が、このRC135のほかにも、アリューシャン列島シェミア米軍基地の“コブラ・デーン”とよばれるレーダーや、近海にいた電子偵察艦のレーダー“コブラ・ジュディ”などが、例えば、二千マイル離れた野球ボールほどの物体でも的確に捕捉しうることを指摘して、米政府の対応に同じく重大な疑問を投げかけた。
さらにイギリスでは一歩進んで、六月十二日にオブザーバー紙が「デフェンス・アタッシェ」誌の米スパイ説を取り上げて以来、七月二十八日のガーディアン紙による”ブラック・ ボックス”回収説、八月五日付オブザーバー紙のスパイ飛行を隠すための無電説などに至るまで、根強い疑惑の声があげられている。
客観的にはまだ情報が不十分で、このようなスパイ説を断定できる段階ではないにしても、 少なくともアメリカ政府と軍が、二百六十九名の人命を救おうとはしないで、ソ連の防空態勢に関する軍事情報を手に入れることに躍起になっていたことだけは動かし難い事実であろう。この”非情”に対してアメリカ人犠牲者の遺族たちは、いち速く、自国の政府と軍の責任を追及する八十一件の訴訟をワシントン連邦地裁に起こした。
私たち日本の遺族も話し合って、人命軽視と非人道に抗議する手紙をソ連だけではなくレーガン大統領あてにも送りはじめた。そして、KAL機の単なる人為ミスとはとうてい考えられないあのあまりにも異常なソ連領空侵犯は、米軍情報組織との緊密な連携の下に、故意に行なわれたのではないかという「重大な疑念」もくり返し表明してきた。“ブラック・ボックス”の有無などにも関係なく、事件の全容を熟知しているはずのアメリカに、真実を伝えるよう再三、要求もつけ加えた。
しょせんは蟷螂の斧であるかもしれない。特に日本のように「権力」に弱い政治的風土の下では、分をわきまえない「無謀」と映るかもしれない。しかし一つの希望は、アメリカに根づいている民主主義の伝統と、政府や軍の不正、暴走に国民の側から歯止めをかけうるアメリカ自体の自浄能力である。
例えば「ハスラー」編集者のラリー・フリント氏は、人類の利益のために一刻も猶予できない、とロサンゼルス・タイムス九月九日号に、アメリカ政府を批判する一ページの全面意見広告を出した。その中で彼は、「レーガンの軍拡政策がアメリカ人を大きく疲れさせはじめ、レーガンの大統領再選の可能性が疑問視されてきた」ちょうどその時にこの事件が起こったと述べ、政治的、軍事的謀略の可能性を強く示唆した上で、「軍拡とは狂気であり、断固阻止しなければならない」と訴えた。
ハーバード大学では、この事件についてのすべての政府情報を分析検討する研究プロジェクトを作り、本年四月の中間報告書では、問題のRC135が事件発生当時には基地に帰投していたという政府発表に対し、もう一機別のRC135が飛んでいた事実を隠していることなどを指摘した。また最近では、コネチカット州に住んでいる元アメリカ外交官ジョン・ケペル氏が「KAL機がソ連領空と知りつつ領空内へ入り、スパイ行為をしたとみられる確証はある」と主張しているらしい(八月二十七日、道新)。
アメリカのマスコミも、この事件を決して一過性のものとしてはとらえてこなかった。つい先週発刊されたばかりの米誌「ネーション」(八月十八日—二十五日号)が二十ページに及ぶ綿密な事件の検証を掲載し、その中で、007便の四十分のアンカレッジ離陸遅延がいまだに理由不明だということ、その間に通常の飛行には必要ないはずの九千八百ボンドの燃料を余分に積み込み、しかもその余分の燃料のことは、その後の航空管制への報告の中に一切ふれられていないことなどについて鋭く指摘している。アメリカ政府と事件とのかかわり合いを追及する動きは、今も執拗に続いているのである。
ソ連によるKAL機撃墜をシナリオに従って最大限に政治的に利用したレーガン大統領は、 この事件を「世界史の転換点」とよんだが、これは彼が考えているような軍拡ではなく軍縮への、破滅ではなく永久平和への転換点にしなければならない。それがもしそうならなければ、次の「大韓航空機事件」では二百六十九人が死ぬ代わりに、おそらく、人類が一挙に滅亡することになってしまうだけである。私たち遺族は、悲しみを越えて、そのことも世界諸国民に訴えていこうとするであろう。それが「米ソ戦争」緒戦の犠牲となって散らされた、 愛する家族たちの死を無駄にしないための、せめてもの道であり慰霊であると信ずるからである。
冒頭にあげた中学卒業文集の別の個所には、卒業生一人一人の顔写真が載っていて、その写真の横に、多くはユーモラスな短いメッセージを、一ことずつ書き加えている。潔典の写真のところには、「武本のいない世界なんて」とあった。私はこれを見た時も、はっと胸を打たれた。
いまは正しく、その「武本のいない世界」である。純真で明るく、まわりの誰からも好かれてきた潔典が、生れ故郷の北海道を目前にしながら、何故母親と共にこの世から消えていかなければならなかったのか。多くの人命を政治の道具として弄ぶような、その国家権力の暴虐を他人事として許していけば、やがて自分自身の世界も「生きる」に値しないものになってしまうことを、或いは、世界そのものが消滅してしまうことを、この潔典の一ことは暗示しているように私には思えてならないのである。
「北海道新聞」一九八四年八月三十日~三十一日掲載
