Ⅰ:千羽鶴:羽場由美子(羽場弘樹母)
春、三月頃から折づるを折り始めました。七・五センチの折紙に 高雲院剛信弘樹居士南無阿弥陀仏 と一枚一枚丁寧に書く。戒名に、弘樹と名前を入れて頂いた事は、此の悲しみの中に只一つ嬉しく思った事でした。鶴を折っている時は弘樹とお話が出来ます。弘樹と二人だけの世界に入れます。
高雲院の高をロばしに折るのです。それは食べる物に不自由をしないようにと思ったから。千羽の鶏の千個の口ならきっと沢山食べられるでしょ。私はいつの頃からか此の一つ一つの鶴が弘樹のようにも思えていました。
涙がにじんだ鶴、指先が良く見えなくなり、ゆがんで出来た鶴。母が折り味が折る。正樹と康雄が慣れない手で無器用に折った鶴。千羽の鶴は八月に入ってから折り上りました。糸でつなぎ弘樹の写真の横に吊しました。この千羽の鶴は私の手の温もりを知っています。私の顔を見ています。九月一日には弘樹の所へ飛んで行き家の事を沢山お話してくれるでしょう。
九月一日、灰色の雲が覆い被さって今にも雨が降り出しそうな肌寒い朝です。船は稚内港から真直ぐ北に向っています。どの位の時間が過ぎたでしょうか、右にサハリンの島影が、 左にモネロン島が、ソ連の警備艇の姿も見えます。濃い藍色の水の面を見ていると、今おかれている現実から、はるか遠い自分の存在を感じます。どうしてこの船の上にいるのか、 この船の行き先は、目的地は、はっきりと理解出来ない様な、それでいて悲しみだけは全身に走り、駆けまわり、時として立っている事も出来ない程に・・・・・・
お昼頃墜落現場に着きました。冷たい小雨が降っていました。一年前の今日、此の上空でこの海で私達の想像に絶する事が起きた。あの子達は何処へ消えてしまったのか、この海はみんな知っている。息子達の行方も。“弘樹一緒に帰ろう、ママと一緒に帰ろう。” 私は弘樹を連れて帰る事しか考えていませんでした。弘樹がどんなに家へ帰りたがっているか・・・・・・ こんな所へ弘樹を置いて帰れない。私はまるで気が狂ったようでした。
家族の写真、レコード、花束、千羽鶴、本、本には一輪の花を添え、リボンで飾り、子供達の手に届く迄濡れない様にビニールで包み、四人の手で海に投じました。子供達へのプレゼントです。本と千羽鶴は波にゆられ北へ北へと流れていきます。二つ並んで、ぴったりと寄り添って、いつ迄もいつ迄も浮かんでいました。きっと子供達のいる所へ流れ着くでしょう。
そこは一体何処………………
あの悲しい汽笛の音は私の耳に一生残ってはなれないでしょう。
あの海の色と波に漂う本と千羽鶴は一生私の目から消える事はありません。
