Ⅴ:心にしみついた九月一日:河野モミ子(河野富子母)
あの日から私達は苦しい人生へのスタートとなりました。事件に巻き込まれた犠牲者は一瞬のうちに地獄に落とされてしまい、残された家族だけが一生懸命に原因を求めています。ソ連をはじめアメリカ、韓国、日本政府も或程度の真相は知っているでしょう。むごたらしい事件が国際緊張の中で起こったため、遺族は信じられないまま、じっと耐えているしかありません。若し真相がわかったら、そうなっても私達の胸のうちはすこしも晴れそうにありません。決してもとにはかえらないのですから。
世界中でさわがれた事件から早くも一年半が過ぎようとしています。世間ではもう過去の出来ごととして片付けられ、あまり重大なこととは思っていないでしょう。そう思えてならない今日この頃です。母親の私は、それとは逆に日々苦しい思い出がつのります。「お父さんもお母さんも元気でね。行ってきます」と、笑顔で手を振りながら出て行ったあの娘の後姿、あの姿が脳裡に焼きついて離れません。まさかあの時が最期の別れになるとは夢にも思っていませんし、一日も早く日本に帰ってみんなに会いたい、そんな気持があっという間に打砕かれ、ほんとうに無念でしょう。
あの当時はきっとどこかで生きていると信じていました。祈りました。しかし今はただ悲しい現実だけが胸につまっています。あの娘は人に頼らず一人で一生懸命頑張りました。明るく大きな声でよく笑った笑顔、あの笑顔を二度と見ることが出来ないなんて、心の中で叫び、呼びかけるしか方法がない苦しさの、やり場がありません。
昨年の九月一日、撃墜された海上へ行きました。黒い海面には霧が立ちこめ、小雨が降っていました。大勢の犠牲者の形見として、一つの小さな壺に納められた白い箱。船のへさきに安置されると、胸がつまって、みんな一緒に声をすすり上げ慟哭しました。例えようのない悲しさと、やっとここへたどりついた安堵が一つになりました。
今年はこの海を見渡せる宗谷の丘に、稚内市長さんのご厚意で、また遺族の人達や、全国の大勢の方々のご厚志で、祈りの塔が建設されることになりました。ほんとうに嬉しく、感謝の気持で一ぱいでございます。今となっては何もしてあげられない私の気持が、宗谷へ行けば胸を開いて語り合えそうです。そのことだけがせめてもの唯一の慰めとなるでしょう。 みなさんに心からお礼を申上げたいと思います。
行けることならどこまでも
捜し求めて幾千里
怒濤さかまく北の海
さぞや寒かろ無念だろ
出来ることならこの胸に
ひしと抱き締め暖めて
あなたの好きな里の味
だけどむなしい親心
叶うことなら手を振って
夢でいいから只今と
元気な顔を父母に
一声でよい聞かせてよ
