Ⅱ:蔡洙明君の思い出:竹田佳地子(小学校の友達のお母さん)

 蔡君が、大韓航空機事故に遭遇してから、一年数ヶ月が過ぎてしまった。
 みなが心から願っていた「もしかして、どこかに生きているのではないだろうか。」との期待も次第にしぼんでしまいそうになる。
 最初の報道がサハリンへの不時着との誤報だったので、事実をめぐって混乱し、末だに何か隠されているのではないかと疑い、このナゾに対していろいろと憶測してしまう。

 守山小学校の時、蔡君と同期生だった子ども達の成長は速い。春には中学三年生になる。背丈もぐんと伸びて、洋服が直ぐに着られなくなると親達はこぼすのだが、蔡君のお母さんは同じように、洙ちゃんが帰って来た時着られるようにと大きなセーターを編んでいる。そんな事一つをみても、忘れられない重荷をいつ迄も背負っているご家族の悲しみが伝わって来て、とても切ない。早く明るい日がおくれるように、と気をそらせ、賑やかにしてみても、一人になるとぼんやりしてしまうのだろう。「夢に洙ちゃんが現れて話したのよ。」とその都度聞かせてくれる。夢で彼と出合うのが嬉しくて、いつまでも覚めないで欲しいと願っている。楽しいこと、クリスマスもお正月も、洙ちゃんが帰って来てから一しょにお祝いしようね、と御家族で話しているのを知って心が痛む。ときどき元気だった彼の思い出を語り、この事をいつ迄も忘れないでいてあげたいと思う。
 もうすぐ二月二十六日のお誕生日が来る。蔡君のお誕生日に何度も招かれた息子から、そのたびに楽しいパーティだったと聞いている。蔡君の家では、お祝いごとには必ず家族が揃って祝い喜びあう習慣で、温かなそして豊かな愛情のあふれる家庭である。
 「蔡君のお誕生日には、お父さんが映画を撮映してくれたり、テーブレコーダーで音楽を録音してくれるんだよ。」と父親も参加するサービス振りを羨しがっていた。
 だから蔡君も友だちのお誕生日を大切にして、忙しくてもかけつけてくれたし、そんな時はいつもキチンと着替えて礼儀正しく出席していた。友達の母である私のお誕生日ときいて、 鉢植えの花を「おばさん、お誕生日おめでとう。」と持って来てくれた姿は、強い印象を残している。丁度事故の起こる一年前の九月一日だから、尚更忘れられない。
 また、人の悲しみも、とても敏感に感じとるところがあった。六年生の時、クラスメイトのお母さんが亡くなられた。その頃は、アメリカンスクールに行っていて、後で知った蔡君は、一人で慰めに訪問している。きっと小さな胸を痛めたのでしょう。
 こんな事もあった。友達五、六人で我家に遊びに来ていた時(丁度隣りの部屋に入って耳にしたのだが)、友だち同志で、みんなに嫌われている子どもの悪口を言い合っていた。その渦の中で、蔡君はハッキリと弁護し、その子の良い所を堂々と述べているのだ。
 友達は多くて、とに角遊びの天才。誰とでもつき合えるし、すぐ仲間に入れて楽しませるのが上手だった。何度か、泥まみれになって遊びに夢中になっている子どもの集団の中に彼が居るのをみた。遠くからでもみつけると声をかけて挨拶するし、小さな子の面倒もよくみてくれる、と母親達の間でも評判の明るくて素直な少年だった。
 息子とは、クラスが変わった五、六年になってからもよく行き来していた。児童館で遊んだり、自転車で砧公園まで行ったり、工作をしたり。雑布縫いも、チャームシュガー作り等も私がさそって一緒にやって楽しんだこともある。時々私もおやつを一緒に戴き乍ら、学校でのこと等話したものだ。蔡君は状況説明が上手で、また自分の言いたい事は最後まで伝える点で感心したものです。友だちである息子の欠点も指摘したり、相手の主張もやさしく聞くところがあった。
 私たち親子ばかりでなく、沢山の人達に強い印象を残していて、大韓航空機事故の報が流れ、蔡君が乗っていたとの知らせに、あちこちから「あの蔡君が、信じられない、何か自分達にできることはないか。将来を楽しみにしていた子が。」などとさまざまな思いの高まりが起きた。そのような皆の気持が準備委員会を組織し、「蔡君を想い起こす会」の発足に到った。
 先生、友人、母親達、近所の方々が、各人の心の中に蔡君のことを生き生きとよみがえらせて、ご家族のもとへ早く帰って来られるように祈り乍らの集会が、母校の体育館に於て、 十月二十三日に千人を越す人達の参加で催された。
 こんなに人々に愛されていた蔡君・・・・・と涙が出てしかたなかった。特にその時配布された、彼の五年生の時の作品である「いのちときぼう」の詩はみんなの心を激しくうった。生きることの素晴らしさ、生き方を考えさせられる詩で、これを読んで新たな力に動かされ、生命、 平和、将来、死、を同期生たちを始め多くの人達が、短かい生涯を精一杯生きた彼の姿勢と残した作品から教えられた。
 準備委員会は、この集まりは何を意味するのか、と寄せられた「思い」をさぐり、何度も議論を繰り返した結果、もっと多くの人達にこの事実を知らせなければならない。それが彼に対する私たちの応答だと考えて、「想い起こす会」は文集を出版する事に決めた。
 二月二十六日の蔡君のお誕生日を目指して彼の日記や作品を中心に、手刷りの文集が出きる。青い紙に星をちりばめた表紙の文集を手にして感動した。この作業を通して、大勢の方の思いがけ無い協力が得られた。先生達は教え子を取り戻せない悲しみと怒りに、そしてこの事を今後、子ども達にどう伝えればよいかを試案する、そうした気迫が伝わって来る。
 ご家族と共に皆で蔡君の写真や字をみて、思い出を語りながら、涙を流して彼の生きた姿を鮮明に浮き上らせた。「短かったけれど一生懸命生きたね」とこの文集は呼びかけているようだ。読んだ人からも声がよせられるし、この文集作りで仲間ができたり、今まで知らなかった人とも接した。お母様から伺うと、遺族会でも慰め合うとてもよい人達を得ていると聞いて、今でも仲間作りを蔡君はしている気がする。
 会のために寄附が寄せられた。それを基に文集が出来た。次に蔡君が読んだ本と同じものが守山小学校に記念文庫として、ご両親から寄贈された。丁度事故の一年後である。
 集まるたびに同期生や関係者は、彼が我々に何を語っているか聞こうと耳をかたむける。 そう、末だに蔡君は語り続けている。本当の平和の意味や、無駄に生きないでね、と。大きな犠牲を払って示してくれたこの事実を、いつまでも忘れないでみつめて行きたい。

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