遺族と出会って25年(佐藤忠男さん)
稚内市職員だった私は、1983年(昭和58年)9月1日の大韓航空機撃墜事件の発生当初、声問浜を歩いて遺品を探した記憶があります。
様々な部署の市職員が海岸を歩き、スニーカーやサンダルなど、遺品と思われるものは何でも拾い集めました。
ご遺族と知り合ったのは、市の教育委員会に在籍していた2000年(平成12年)になってからです。事件から20年を前に、市が保管していた持ち主不明の遺品をどうするかが課題となっていました。
遺族会会長の川名優収(まさかず)さんらと話し合いを重ね、声問浜の海岸で持ち主不明の遺品371点を野焼きすることにしました。スカートやズボンなどを段ボールから木箱に移し替え、事件から20年となる2003年9月1日に鎮魂の願いを込めて燃やしました。
燃え上がる炎を見ながら、このような事件を二度と繰り返してはいけないという思いを新たにしました。
371点の遺品の一覧(A4班12ページ)は市職員を退職した後も、ずっと保管してきました。大切な記録を捨ててはいけないと思ったからです。
退職後もご遺族との交流は続き、毎年9月1日の平和式典などで顔を合わせています。ご遺族も高齢化して、世代交代が進んでいますが、ずっとお付き合いを続けてもらっています。これからもこのつながりを大切に、事件の風化に少しでも歯止めをかけたいと思っています。