Ⅳ-7:写真と一緒に:池田泰子 (スティーブンス浩子母)

池田泰子 (スティーブンス浩子母)

 あの日あの時突然此の様なむごい事が起こり、唯残念で残念で、かなしく可哀相でなりません。一年ぶりの帰国、「一日も早く帰って式の準備を手伝いたい」、又「結婚式で外国帰りの姉がいると話題に花が咲くかも」とも書いていました。九月十日隣にいる筈のあの娘は居ないし、係の人から「浩子さんは」と聞かれ言葉にもならず、式どころではありませんでした。

 此方に帰りあの人あのお友達との再会(もう午後に会う約束をした人もいました)をたのしみに胸ふくらませ機上の人となった事でしょう。(本人は風邪気味だったのに)。私達も早くから「九月一日KAL747、十二時三十分」とカレンダーに記し一日一日をたのしみに待っていました。

 あのなつかしい笑顔、大声で笑うあの顔、もう二度と見る事も聞く事も出来ません。ビルとは北海道で始めてお逢いしました。彼の淋しそうな横顔をみていると、「之がもしあの娘と一緒だったらどんなにうれしいか」と又悲しみが横切ります。そして二人は最高に仕合せだったと確信しました。

 一人で恋をし、選び、一人で死んでいったあの娘。特に、結婚式には一人で何かと心細かったと思うと胸がしめつけられる様な、何の役にも立てなかった私がくやまれてなりません。

 浩ちゃん、ごめんなさい。

 川西の空には何事もなかったようにジャンボ機がとび立ってゆきます。目前に見える機をみていつも「ひろちゃん」と叫んでしまいます。

 あの機に突然ミサイルがうたれ火花の様に落下してゆく光景、海上にバラバラの遺体が!!そして又一部は海中深く・・・・・・思ってみても、ぞっとし、まるで此の世の地獄です。

 病気になれば医師も最善をつくしてくれるし仕方がないとあきらめられますが、此の度のまるでロボットの試験飛行の様な事、にくんでもにくみきれません。

いつも頭の中にうずまくどす黒い重圧感!! 此んな思いでこれから過ごす日々はあまりにも悲しすぎ、ざんこくです。

 ビルが浩子の事を考えて、「ボストン、京都を六ヶ月ずつ」という話も出来、ほんとうにこれからという時だけに残念でなりません。あの娘もきっとくやしく思っている事でしょう。朝夕のお参り、写真を見るのがとても辛い。夜床に入ってからはずっと思い出し眠れません。朝起きた時眼の横に涙の乾いた線があるのも時々です。

 例え片手片足でもいいから帰って来てほしい。私の宝物の浩ちゃん。今度は淋しそうな姿でなく、笑って夢に出て下さい。何かしてほしかったら云ってね。私に出来る事なら何でもしてあげますから。浩ちゃんの事は片時も忘れはしません。外へ出る時もいつも貴女の写真と一緒ですから。

 今日で百八十六日、私の生きている限り毎日記されてゆく事でしょう。

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