Ⅱ-3:ゆれる心のなかて:中尾勤 (中尾修視父)

中尾勤 (中尾修視父)

 わが身をつねって人の痛さを知れといいますが、正直いってこれまで耳にする不慮の出来事といえば、てんで人ごととしか考えていなかった。身勝手なもので、以来新聞などで知るこの種の事件と人命にかかわるニュースはすべて人ごとでなくなった。フラスカの冬山・マッキンリーで消息を絶った冒険家・植村直己さんの捜索ニュースなどハラハラさせられて、どうか生きていてくれと祈る気持ちで記事を追いつづけたのも以前とちがうところである。

 一九八三年九月一日、呪われたこの日のことは本当は忘れてしまいたい。できることなら忘れたい。年々歳々花は変わらず、その時期がくればもっともっと生々しく、鮮烈で悲しい思いとなって吾が身をさいなんでくることだろう。生きている限り毎年一回、九月一日というこの日はめぐってくる。好むと好まざるにかかわらず、この日は必ずやってくる。

 普通なら何でもないことだが本当にしょうもないことに心を痛めることが多くなった。たとえばビルの窓ごしにみえるジャンボ旅客機や、TVの天気予報で日本列島の上にでるサハリンの島かげ地図などはどうもいけないし、ふっと頭をよぎる夏から秋にかけての季節のことを思うときである。

 そんなわけでこのところ妻と私はどうも世間の常識からかけはなれた世界に住んでいて一般から隔離された別のところにいるようだ。肉身と死別したとき人は誰でも仏壇の前に座し線香をあげ念仏をとなえる、これはごく普通の話ですが、いまのわが家ではこのような光景はまずみられない。いつの日か、自然な気持で手を合わす日もくることだろう。だが今はまだ、とてもそんな気持になれない。残念なことではあるがいまの二人はまだ別の世界に住んでおり、まるで非常識なイドラ(虚像と幻)の世界に生きている。

 心のなかでの話だが、本当はカナダかアメリカのどこかで息子はまだ元気にやっており、さもなければソ連で情報活動かなにかを強いられながらも、一応は元気でいるなどとわざとそんなことを考えながら毎日を過ごしている。

 矛盾だらけの思考や日々の心のゆれうごくなかでただひとつ、心にかけるひとつの嬉しいニュースがある。それは高校・大学時代の友達みんなで作ってくれて、まもなく出来あがってくる文集のことである。あれから何人かの友達が、わが家を訪ねてくれまして息子の部屋でねばられていたようですが、日記やメモのたぐいをひっぱりだされ、親にもしてやれない文集に取組んでくれているからだ。息子の未知の一面がまもなくでてくるわけで、それの期待で病める心もすこしづつ、ふくらんでくる思いである。

 それにしてもこれだけの大事件である。INF交渉まで中断させ、人類の平和と幸せまでもおびやかした出来事に世のオピニオンリーダーたちは、一体なにを考えておられるのだろうか。いま各界の有識者たちはこのことをどう思っておられるのだろうか。気持ちの高ぶりがあればおゆるしねがいたいのですが、平和・文化・倫理を装いや建前でなく本気で考えてくださる方になら、わけなくわかってもらえることである。まさか一過性の惨劇とも思えないし、その意味する背景なりこれからの生活文化など、さまざまな影響を考えてまだまだ多くの歴史的教訓がそのままになっているのではないか。そしてあのブラックボックスと一緒にこれだけの深いテーマまでも闇の彼方に葬り去ってしまうのだろうか。それ故いま、この種の沈黙なり無関心のなかに恐ろしい不安の芽を宿らせてはならないと思うし、まして地球文明の未来にとって不幸な図式とならないように、確かな主張や追求の文化をみなが一緒になってつくりあげていってほしいと思う毎日である。

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