1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー14:母へのてがみ:武本由香利(武本富子長女・潔典姉) 一九八三年八月三十一日午前九時(日本時間午前十時)、私は母に手紙を書いていました。ちょうど母と弟の乗った飛行機がアンカレッジの空港を飛び立った頃だと思います。 ママこんにちは!きのう別れてからだいぶ経った様な気が […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー13:二人の想い出:梨本キク (武本富子の伯母) 私が最後に富子さんにお会いしたのは、昨年の二月十二日、その朝高田は白一色の雪であったが、東京は曇り空の寒い日でありました。 度々の入院を繰返しておった姉が亡くなり、三度上京した時の事でした。 その後富子さん、潔典さん、 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー12:今も生きつづけている二人:山本忠雄(武本富子の弟・潔典の叔父) 姉の富子は、その日その日を精いっぱいに暮らしていた。 一九八二年十一月から約三か月間、胃ガンで入院中の母のベッドのそばに附添い、翌年二月九日に亡くなるまで母を元気づけた。 姉は至って気丈夫であったが、母の死は彼女にとっ […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー11:富子おばさんへ:川辺理恵 (中二・武本富子の姪・潔典の従妹) 今でも永山の家に電話をすると、「あら、りえちゃん、オッホホホ」と、明るい富子おばさんの声が聞こえてくるような気がします。 去年の一月三日に遊びに行った時、おばさんはスパゲティをつくってくれましたね。とってもおいしかった […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー10:のんちゃんへ:川辺友恵 (小六・武本富子の姪・潔典の従妹) 「お元気ですか?」なんていつも書いていたのに、もう書けないんですね。今でもその言葉を書いてしまいそうです。 家へ遊びに来てくれた時、バトミントンやトランプ、何でも私たち子供相手に、しんけんになってやってくれて、私は楽し […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー9:兄の思い出:広瀬醇子 (小林正一妹) 「オニイちゃん」と大声で呼んでみたくなる私。還歴に手が届きそうになっていても唯一人の兄、たった二人だけの兄妹ですもの。事故当初は、ひょっとしたら雲のじゅうたんにでも乗ってフワフワしているのではないかしら、世間のみんなに […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー8:母に告げて:広瀬醇子 (小林正一妹) 六月から三ヶ月間、研究のためにアメリカへ行く事になったのでその間預ってほしい、と云う事で母は私の家へ来る事になりました。高齢の母は、息子夫婦の帰りを一日千秋の思いで、色々の土産話を楽しみに待っていました。 悪夢のような […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー7:孝行息子を奪われて:小林りん (小林正一母) 九月一日、嗚呼嗚呼苦月一日、何たる悲しき日ぞ。罪無き人々大勢が、あっと言う間に亡き人とされてしまった。私には唯一人だけの息子、善良なる孝行息子夫婦を一瞬にして奪い去られてしまった。 息子は、幼少の時から何時も私を喜ばせ […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー6:井草の別れ:沢田二郎 (小林郁子弟) 西武新宿線の下井草駅から歩いて約十分の所に日本基督教団井草教会がある。この教会で、昭和五十八年六月十二日(日)の午後、教会の創設者、小塩力牧師(岩波新書「聖書入門」の著者)の没後二十五周年記念会が催された。私の親や兄姉 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー5:姪の死を悼む:宮岡 要 (河野富子伯父) 大韓航空機がソ連軍用機に撃墜さるとのテレビ放送の凶報は、一瞬にして二六九人とその家族の運命を明から暗に変えてしまった。併も邦人二七人の間に、私の姪河野富子が搭乗していようとは想像だにしていなかった。ニューヨークで共に英 […]