Ⅳ-6:返して下さい:蔡勝錫 (蔡洙明父)

蔡勝錫 (蔡洙明父)

 大韓航空機はわが家のすべてを奪い去ってしまった。長い長い冬が過ぎ、やっと訪れてきた春のぬくもりがいっぱいに満ちている北海道小樽港。待ちに待ったサハリンからの船が接岸した。甲板に飛び上がると船の中から痛々しい傷だらけの大韓航空機生存者に混じって洙明がびっこを引きながら出てきた。私は無我無中で洙明に飛び付いて胸いっぱい、力いっぱい、そして思い切り抱き締めた。この日をどれほど辛い思いで待ち続けてきただろうか。夢であれば覚めないで欲しい一幕であったが、残念ながら目を覚ましてから残ったのはこみあげる悲しさとむなしさだけだった。

 一九八三年九月一日、大韓航空機が私どもの最愛の洙明を連れ去ってから七ヵ月が過ぎました。一般の方にはすでに歴史上の事実化されつつあるこの頃、生き続ける夢も希望もそして気力さえもなくしてしまった苦しい毎日が続いています。子どもをなくした親の辛さ、苦しさがどんなものであるかを想像することもできなかった私としましては、自分をコントロールする能力さえもなくしてしまい、一日一日生き延びるのが精いっぱいのこの頃でもあります。

 洙明は私どものすべてでした。私どもの生きがいでもあり、あらゆる希望と夢を托して育ててきました。私は外出するときはいつも洙明を連れて歩きました。私は山歩きが好きで、週末に山へ出かけるときも一緒でした。洙明が行きたがらない日は、出かける気にもなりませんでした。常に連れ歩いた洙明を一人だけでアメリカまで行かせるには、かなり辛い決断が必要でした。今になって思えば、アメリカまで行かせなかったらよかったのにと悔いだけが残ります。

 私は、限りなく想像の世界が展開される澄んだ青空と果てしなく続く海の水平線をながめるのが好きでした。それがあの恐ろしい事件以来、空を見上げるのも、海をながめるのも、空を飛んでいる飛行機を見るのも恐くなってしまいました。町へ出かけても、至る所に洙明と一緒に歩いたときの想い出が残っており、すぐ涙があふれてしまいます。色々な想い出が鮮明に浮かんでくる山道もこれからは歩けそうにもありません。私どもの最愛の洙明を連れ去った大韓航空機は、私のまわりから空を、海を、そして山までも奪い去ってしまいました。

 責任を取るべき者は責任逃れに汲々している一方、加害者と共に平常に戻っている今、被害者だけがこんなにまでも苦しまなければならないこの非理を、この矛盾をどこへ訴えればいいでしょうか。見せかけの正義、見せかけの人道主義、そして弱肉強食があるだけのこの世の中で、この怒り、このうっ憤、この悲しみ、この苦しみをどこへぶつければいいのでしょうか。

 ここで、ソ連の首脳部にお尋ねしたい。あなたたちは空を飛んでいる鳥を撃ち落とすように人間を平気で撃ち落とす民族であるのかを。あなたたちは、自分の親が、夫が、妻が、そして子どもが殺されても泣かないかを。あなたたちは、二十世紀の最新兵器を使ったのであるから、この地球上でもっとも野蛮人であると言われている人食人種よりははるかに文明人であると言えるかを。

 次に、大韓航空にお尋ねしたい。その飛行機に大統領のような要人が乗っていてもそのような航路逸脱がありえたかを。それでも最善をつくした飛行であったと言えるかを。

 最後に、アメリカ並びに日本のレーダー基地の担当官にお尋ねしたい。その飛行機が貴国の飛行機であっても、後影が消えるまでじーっと我慢強く見続けるだけであったかを。

 慈悲深い神様!事件に巻き込まれた何の罪もない善良な人々を待ち焦がれている家族のもとに返して下さい!!

 北海の冷たき海に沈み行きし
   吾子よいづくぞ涙流るる

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