Ⅳ-5:心のあせり:河野一男 (河野富子父)

河野一男 (河野富子父)

 大韓航空機撃墜事件以来六ヶ月が過ぎ去ろうとしている。今年の冬は殊のほか寒さがきびしく、北の海一帯は氷点下三十度を越す冷え込みだったようである。荒れくるううねりとあらしの中で、わが娘はどんなにもがいて抵抗しているのだろうか。仕事の手を休めてふとその事を思うと、一瞬にしてあの当日へ意識が逆もどりしてしまう。

 NHK外信部の報道がはじまると、どこにいてもすぐ聴き耳を立て、釘づけにされた毎日、どんな小さな情報でも、大韓航空機事故に関係するものであれば吸いつけられるように注目する。

 周囲の人達からいたわりの言葉を掛けられることは、日々悲しみを新たにするばかりでなく、相手の方々にすまないと思いつつも心の中はむなしく空転するばかりだった。

 非人道的な蛮行は全世界の人々に衝撃を与え、ソ連に対する憤りはひとり遺族のみのものではない。にもかかわらず月日と共に事件は、人々の脳裡から忘れ去られつつある。

 ソ連の撃墜は、そもそもソ連領へ迷い込んだ大韓機に原因があり、なぜあのような間違いを起こしたのか、その後の情報を考え合わせると、不可解な背景があるとしか思えない。

 犠牲となった十六ヶ国の人々の遺族達は、今どのように考え行動しているのか。私共のどうしても知りたいのは、その真相と遺族達の心境である。残念ながらあまりにも広範な地域の人々であり、日本人遺族の力ではどうしようもないのが現実と、いわざるを得ない。

 私は今、あれからの日々をふり返り、どうしようもない空虚にさいなまれている。

 遺族会の役員の皆様には、日夜を分たずご苦労をわずらわし、又外務省の方々をはじめ北海道各地での捜索に対するご協力、もろもろの事を考えるとき、ほんとうに多くの方々に感謝を申し上げねばならない。にもかかわらず、私自身は何一つ出来ないではないか。

只今と、ひょっこり娘は帰ってくるのではなかろうか。空しい期待をいつも持ちながら、誰に話すことも出来ないような説明のつかない空虚さが訪れるのである。

 一番犠牲者の多い韓国では、ソウルに慰霊碑が建設されるという機運があると聞く。私は事件発生以来一日も早く、事故現場に最も近い宗谷岬を選んで、慰霊碑を建てるべきではなかろうかと考え続けており、遺族会の中でもその事を主張して来た。現在もその気持で一ぱいである。北の海は荒れ、宗谷岬は半年間雪の中に埋もれるでしょう。しかし、日本の領土で事故の海が見えるのは稚内しかありません。遺体も遺留品も全く確認すら出来ず、情報のみで私達はどう心の処置をつければよいのか。遺された肉親として、あまりにも残酷なことと言わざるを得ない。

 寒い寒いと言いながらすでに三月となり、九月に向って半年しか残っていないのである。最近私は、このようなことから心のあせりを覚え、何とかしなければと日夜苦しい気持に迫られている。

 水面にうつった灯火のように、
 空高く打上げられた花火のように、
 あの子は消え去ってしまったのだろうか、
 見えない幻影を求めて、心は、
 果てしなく慟哭する。

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