Ⅱ-4:戦争のない世界を願って:羽場由美子 (羽場弘樹母)

羽場由美子 (羽場弘樹母)

 五十八年九月一日、どの家族も久々に帰って来る息子の、娘の、夫の、妻の、兄、弟の笑顔を楽しみに待っていた日。あの様な事件が起きていたとは、しかも未然に防げ得たとも思えるあの惨劇が起きていたとは誰れが想像したでしょうか。自分の耳を疑い、目を疑いながらあの渦の中に入っていった日、あの日から私達遺族の悲しみと苦しみが始まりました。命ある限り、いやされる事のない果てしない悲しみが始まりました。

 自分の命より大切な者を失ったこの現実をどう受け止め、何を信じて生きてゆけばいいのかわかりません。真相究明、遺体・遺品の返還、どんなに努力しても、どんなに叫んでも、返って来るのは空しさばかり、涙ばかり。もしかして何処かで生きているのではと、生死さえ確かめるすべもなく半年が過ぎてゆきました。

 二六九名(いいえ敢えて○○七便の乗客と言いたい)は、アメリカとソ連の軍事的な狭間の中で犠牲になっていった。世界平和を願いながら。此の地球上に戦争が無くなり、世界が一つになる事は世界中の人達の願いであり、サハリンの空で散った息子の、娘の、夫の、妻 の悲痛な叫びである。

 墜落現場と覚しき空に雲が棚引き、平和という文字を描いたとか。大韓航空機撃墜事件は単なる航空機事故ではない。私達遺族だけの問題ではない。日本国民の、アメリカのソ連の、いいえ世界の人達の問題である。二度と此の様な悲劇が起きないためにも、広く世に訴え続けてゆかなければならないし、永久に忘れてはならない事件であると思います。

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