取材記者にとって重たい事件だった。現場は東西冷戦下のソ連・極東。情報は乏しく、真相究明は困難を極めた。取材を進めていくと輪郭が見えてきた。大韓航空007便の乗客・乗員は米ソ両大国の覇権争いの犠牲になったのではないか…。
40年余りたったいまも、個々の記者は当時から引きずる思いを胸に刻んでいる。共通しているのは「事件を風化させてはならない」との思いだ。過去から未来につながる一人一人のメッセージを紹介する。
※多くの方々のメッセージを紹介したいと思います。原稿をお寄せください。
大韓航空機撃墜事件とサハリンの思い出(ロシア語通訳者 大島剛)
1983年9月、私はサハリン島西岸の上空にいた。ソ連のプラント建設現場で6年間働き、帰国の途にあった。夕方モスクワを発ったアエロフロート機は夜明けにハバロフスク市の上空を通過する。ここで少し早めの朝食が出る。天気が良か […]
母たちの大韓機撃墜事件(元HTB北海道テレビ 國本昌秀さん)
3人の母たちとの出会いは、1989年の稚内からサハリンへの同行取材だった。先立つこと6年前、83年にサハリン沖で大韓航空007便がソビエト連邦の戦闘機に撃墜され、その真相は覆い隠されたままだった。しかし、ゴルバチョフ大 […]
岡井仁子さんとの懐憶(元北海道新聞記者 山本肇さん)
亡き息子に捧ぐ「祈りの火」 いつか真相の扉こじ開ける 福岡から訪ねて来た女性は「遺族会」の名刺を差し出し、「息子たちの最期の様子を知りたい」と切り出した。一九九一年四月初めの昼下がり。 名刺には「大韓航空機撃墜事故(事件 […]