Ⅳー31:老人の願ひ:柄沢紫朗(井上聖子父・美和・陽祖父)

 あれから十ヶ月にならんとしています。
 にも拘らず、夢遊病者の様な精神錯乱状態に陥る事のある老妻の「お守り」に精魂を使ひ果して居る所です。実の娘と二人の孫を、何の前ぶれもなく、一挙に殺されたのですから、そのショックは、母親の方が遙かにきびしく刻み込まれた事です。もともと、ひ弱な妻、その鬱憤を晴らすすべもなく、長女の府中宅へ行っては数日滞在し、気分転換を求めても、何等効果もなく、体重もどんどん減じて、七、八十口もへってしまいました。
 幸に、小生は、別稿朝日「ひととき欄」の記事の如く三十年以上のテニス歴を持っていますので、今年一月から正式に私達のクラブに加入し、スポーツで汗を流す方法を採用する事に決めました。六十四才で初めてスポーツに取りくむ気になってくれた事、スポーツのスの字も顧みなかった彼女が……如何に精神的苦痛に悩まされ続けて来た事かと、そんな老妻の「ギゴチ」ない「たまさばき」を一心に見守り、指導するのに、又、一苦労も、二苦労もある訳です。強い調子で云へば、「もうやめる。」と云ひ、と云って甘い言葉でいへば、いつまでたっても上達の「目ど」が立たないし、ほどほどに機嫌をとりとりの練習が、今日此の頃の日課となっています。
 それにつけても此の頃の暑さにもめげず、一時間程度といえども総てを忘れて、没頭してくれる事を念じているのが実情です。隔週毎に三人で訪れて来た聖子とその二人の子達は、いくら待ってももう訪れて来ません。
 私の古稀の祝ひも、誠にうとましい思ひさえ致します。人生の終着駅に間もない私達は何を目標として生きるべきか、自由主義国家間に生を受けて、その国際緊張の犠牲として葬り去られて仕舞ふのでせうか。真実を追及し、遺族の念願を飽くまで推進したいものです。大 方の民衆も賛同する事でせう。
                   昭和五十九年六月

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