Ⅳー19:平和のためにがんばって!!:熊倉登美子 (中沢建志叔母)
―将来を楽しみにしていた甥の死を見つめて―
「まさか、そんな事があってなるものか」という、信じられないような出来事が現実に起こってしまった。悪夢であってくれたらと何度思ったことか。あの好ましい青年は、もうこの世には居ない。愛しい息子を無くした姉の姿が痛ましい。事故の後処理に奔走する義兄の後姿が寂しい。兄を失った弟の怒りがもの悲しい。
残された者のやりきれない心が周りに伝わってくる。何をもってしても決して癒えることのない傷をかばいながら、じっと耐えるしかないその後の一日一日・・・・・・。どんな言葉を投げかけてもむなしい響きが残るだけ。
もう、新しい涙を誘うようなことは云うまい。
二十五才にして逝った君よ、かけがえのない青春を存分に乱舞して、己れの使命と責任を果して、君の生命を生ききっていったことを私は信じる。
君の生命は大宇宙に冥伏して、今エネルギーを貯わえて新しい生への旅立ちの準備をしていることだろう。
二十一世紀を平和の世紀にするため・・・・・・。そのために君は動き、休息している。
今日本は平和だと、誰でもが信じていた。平和に慣れ、平和を当り前と傲慢に享受していた真只中に、何の前ぶれもなく突然ミサイルが飛んできた。それぞれの家族が一家団らんを楽しんでいたその時に、偶然弾は我が家にあたらなかったというだけで、どんなことで私達は戦火の炎に身をこがされるかわからない世界に生きている恐さを感じた。
我が耳を目を疑いながら、最後の最後まで信じたくなかったけれど、これが現実かと受け入れるしかなかったのだ。
国と国との間にたちはだかる不信と恐怖の壁は、何も罪のない人々を残酷にも標的として殺した。こんなことが許されてたまるか。断じてそれは悪である。
しかし、残念ながら今でも世界のあちこちで戦争は行われ、悲しい犠牲者が沢山いる。戦争では、人を大量に殺した人が英雄とされ、賞賛される。
生命の尊さはいつだって同じなのに。
肉親を無くされた御遺族の方達に改めてお悔みを申し上げます。
どうか勇気を出して下さい。ご自身の時間を大切にされますように。
あの二六九名の尊い方達が死をもってまで訴えたかった「平和の雲」のことを決して無駄にされませんように。がんばってください。
まだまだ、これからやらなければならない事が山積していることと思います。
お体に気をつけて・・・・・・。
皆様の健康とこれからの幸せを祈ります。