Ⅳ-17:かえらない思い出:大場真紀子 (田中ケイ子従妹)

 忘れもしません・・・・・・昭和五十八年九月一日、私はいつもの朝と同じように、ねむい目をこすりながらテレビのスイッチを入れていました。
 ニュースでは、あまり穏やかでない飛行機行方不明の報道を何度も繰り返していました。そんなニュースを人ごとのようにながめていた私の目に、耳に、はっきりととびこんできたのは、日本人乗客員『田中ケイコ」の名前でした。くっきりと映るテレビの字まくに私は身動きもできずすいこまれていくようなそんな感じでした。
 どうか・・・・・・どうか間違いであってほしい。そう何度も願いながら、あの悪夢のような朝からもう一年近くにもなろうとしているのですね。
 ケイコ姉ちゃんは、いつも元気でハツラツとしていて、やさしい私のいとこでした。私が上京してまもない頃、踊ることが大好きだったケイコ姉ちゃんは『劇団四季」のミュージカルの切符があるからと言ってまだ都会慣れしていない私を誘ってくれました。
 はじめて見るとても大きな舞台と、色とりどりに着飾った踊り子達、マイクも使わず力を ふりしぼって歌いあげるすばらしい舞台に、しばらく私はため息をもらしながら見つめていました。でももっとおどろいたのは、ケイコ姉ちゃんの横顔でした。体を半分椅子から前へのぞかせて指先と足でリズムをとりながら、目をキラキラと光らせてまるでケイコ姉ちゃん自身があの大きい舞台で体を自由に動かして踊っているような・・・・・・そんな感じでした。あの時の横顔は、今目を閉じてもはっきりとまぶたに映ってきます。幕がおりても、そんな舞台によいしれていた私は、誘われるままに赤ちょうちんのさがっているラーメン屋さんに二人で入りました。
 ケイコ姉ちゃんはさっきの姿とはうらはらに、ラーメンを食べながら冗談ばっかり言って・・・・・・日焼けした肌から白い歯をのぞかせて大きな口でゲラゲラと、回りも厳り見ず、声をあげて笑っていました。これで本当に大学の先生なのかナァ・・・・と思うと何だか妙におかしくて、おもわず吹き出してしまいました。でも、この気どりけのないケイコ姉ちゃんが私は大すきでもあり、自慢でもありました。
 そんな思いも、そしてあの笑顔も、もう今となっては二度と見ることはできないのですね・・・・・・。
 もしこの世の中に本当に神様が存在するのなら、お願いです。
 もう一度あのケイコ姉ちゃんの笑顔を見せて下さいー。レオタードに身をつつみ、汗だくになって踊るステキな姿をもう一度見せて下さいー!!
 くやしいけれど、あの悪夢のような事件が間違いであってほしいと、私はこれからも先ずっと思い続けてゆきたい・・・・・・そう願わずにはいられません。

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