Ⅱー1:私の出会った証言:宮岡英夫 (石原益代女婿)
六月十日日曜日、私とS夫妻はあるそば屋で天ぷらそばを食べ終って、お茶を呑んでいました。その日は知人のS町子さんに、土地か家を買いたいので私に一緒に下見に行って下さいと頼まれていました。S町子さんは、運輸省に勤務する夫と官舎に入っていたのですが、一月にA市に単身赴任、S町子さんは二人の子供のこともあり、B市に残りましたが、省の規定により早速官舎を出なくてはならず、今日の事となったのです。近くの駅で一〇時にS夫妻と会いました。S氏はこのためにわざわざA市より出かけてこられたとのことです。
私はS氏とは初めて会いました。五○近いキビキビした物腰、そして思慮深そうな感じの人と思いました。
S町子さんの言われるままに二、三の土地と建物を見て廻り、昼食を食べた後、S氏とむき合って今日の話や色々な話題の後、ふと「Sさん失礼ですが、どんなお仕事をなさっているんですか」と聞きますと、こんなそばやの片すみで思いもかけない答がきっぱりとした物言いで返って来ました。
「航空管制官をしております。」
私は一瞬頭の中のどこか一部が白くなるのを覚えた。
目の前に、あの九月一日のKAL○○七便にタッチしていた人物が、「今日はほんとに色々とお世話になりました。」と言いながら立ちかけようとしている。私は頭の中の白くなった部分を素早く埋めながら、「あのお・・・・・」と聞きました。S氏は浮かせかけた腰を戻して顔を上げます。私は何を此の際聞いたらよいのか迷いました。前からSさんが航空管制官と分っていれば、と思いながら、そして逸る心を押えて、
「Sさん、それではあの大韓航空機事件の時はC市の東京管制部におられたんですか?」
「はい、いました。」
「あの事件のことどう思われますか?」
「どうと言うと」
「例えば、言われているように慣性航法装置への入力ミスとか、パイロットの怠慢とか」
「私も長年航空管制の仕事をしていますが、どちらも考えられませんね。」
「それでは、この事件の真相と言うか、それに近い情報とかの話は管制部内ではどう思われていますか?」
「そうですねえ、この事件のことは内部でもひじょうに関心のあることで、仕事がら一般の人々より色々と摑みやすいですから、皆同じように思っていると思われますよ。」
「ソ連、アメリカ、韓国、日本の政府はどの程度真相を知っていると思いますか?」
「それらの国々は皆知っていると思います。」
「それは管制部内部の人たちもそう思っているんですね。」
「そうです。」
「大韓航空をどう思いますか、会社とゆうかパイロットでもいいですけど。」
「ああ、あの会社のパイロットは優秀と思いますよ。でも全員が空軍出で、皆情報収集等をしていると言われていますね。」
「では、あの○○七便もスパイ機。」
「とも言えるでしょうね。」
「ところでSさん、A市のレーダーではカムチャッカ半島の上空は映りますか?」
「うちは自衛隊とちがってあそこは映りません。あそこにはルートが有りませんから必要無いんです。」
「あの後、ロメオニ〇のルートはどうなっているんですか?」
「あれから二ヶ月後、十一月から再開されています。」
話がここまで来てから、
「実は私の義母と友人があの機に乗っていたんです。」と言うとS氏は驚いた顔で、
「そうでしたか。」とうなずかれた。
私は自分の立場を言ってしまった後は聞きたいことも頭に浮かばなくなり、又あまりに突然の出会なので、この程度の質問しか出来ませんでした。車で送りながら、今度S氏と会うことがあったら、今少し勉強して程度の高い話が聞けるようにとの思いの中で駅で別れました。
私にとってS氏との会話は短いものでしたが、今まで思っていたことが航空管制官と言う現場の人の証言と一致したことで、撃墜の怒りを新にしました。
真相を知る人々よ、なぜこのような事を仕出かすのか。今、行いつつある事を含めて、人類及び地球に対して余計なことは止めてくれ!