1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー24:一度だけ逢わせて下さい:羽場由美子(羽場弘樹母) 私は弘樹の事をどれだけ 知っていたでしょうか “ママ”から“おふくろさん”と呼び方も変り 少しづつ親から離れていきました そういう息子がたのもしくもあり ちょっぴり淋しくもあ […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー23:電話:羽場由美子 (羽場弘樹母) 電話のベルが鳴ると もしや弘樹からではとはっとします “おれ弘樹弘樹”とせっかちに 必ず自分の名前を二度繰り返す 少し遅くなるときまって電話をし “遅くなってごめんね”って言いました 九月一日は成 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー22:どうしてですか?:羽場由美子 (羽場弘樹母) 昭和三十九年九月十八日午前四時二分、弘樹が産声をあげ誕生した時刻です。今ここに弘樹の母子手帳があります。 出生時体重 三・九四八キロ 身長 五センチ 一才時体重 一〇・一キロ 身長 六八・九 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー21:兄は北の海に:初田美穂 (羽場弘樹従妹) 兄は北の海に眠っている 暗い寒い海の底に 飛行機は打ち落とされた だれひとりとして帰ってこない 彼らはそういう運命にあったのだろうか 運命を変えることはできなかったのだろうか 人は自分の力で運 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー20:九ヶ月経った、今:小野高子 (中沢建志叔母) 昭和五十八年の九月一日、あのいまわしい大韓航空機事件の渦中にまき込まれ、義理の甥である建志君は、あたら若い命をオホーツクの海に散らせてしまったのです。 あれからもう十ヶ月が過ぎようとしているのです。然しあの日以来、義兄 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー19:平和のためにがんばって!!:熊倉登美子 (中沢建志叔母) ―将来を楽しみにしていた甥の死を見つめて― 「まさか、そんな事があってなるものか」という、信じられないような出来事が現実に起こってしまった。悪夢であってくれたらと何度思ったことか。あの好ましい青年は、もうこの世 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー18:叔母と私:竹内碧 (富高八重子姪) 冨高八重子は私の父の異父妹です。父の父は日露戦争に出征し、帰還して身体が回復しないまま病死したと聞いています。父の母は再婚して八重子を産んだので、兄である私の父とは十九才の年令の開きがあります。私は父の末っ子ですが八重 […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー18:真実は一つ:飯野一正 (田中ケイ子義弟) 昨年九月一日朝交替勤務を終り、母親の入院先の県立中央病院に向う車の中でカーラジオから、KAL後行方不明のニュースを耳にした。帰路の便は記憶になく、対岸の火事的感覚できいていたのである。入院先の母も「ケイ子から連絡あった […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳ-17:かえらない思い出:大場真紀子 (田中ケイ子従妹) 忘れもしません・・・・・・昭和五十八年九月一日、私はいつもの朝と同じように、ねむい目をこすりながらテレビのスイッチを入れていました。 ニュースでは、あまり穏やかでない飛行機行方不明の報道を何度も繰り返していました。そん […]
1985年9月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月12日 yamaguchi 遺族会文集 Ⅳー16:妻と子に捧げるレクイエム:武本昌三 (武本富子夫・潔典父) (二) 私はテレビの前に座りこんだ。 ローリーには、テレビチャンネルは四つある。CBSのほか、ABC、NBC、それに教育テレビのNET。 CBSからのKAL機行方不明のニュースが終ると、すぐ別のチャンネルに切換え […]